映画「来る」がひどいと言われる理由は?気まずいシーンを振り返る

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映画

映画「来る」は、一見するとホラー映画の枠に収まりながらも、家庭の崩壊や人間関係の歪みといったリアルなテーマを巧みに織り交ぜた作品です。
その独特の演出やビジュアル効果が観客に強烈な印象を与え、多くの賛否を巻き起こしました。「怖いだけじゃないホラー映画」を求める方にとって、映画「来る」は一度見たら忘れられない衝撃をもたらすことでしょう。
本記事では、映画の見どころや話題となったシーン、キャストの魅力に迫りつつ、一部で「ひどい」と評価される理由も深掘りしていきます。恐怖だけではないこの作品の魅力を知れば、あなたもきっと新しい視点で楽しむことができるはずです。

映画「来る」は本当にひどい?賛否両論の理由を深掘りする

映画「来る」はホラー映画としての斬新なアプローチと、エンタメ性の強い演出が評価される一方で、物語の展開や描写が観客にとって過剰であると感じられる部分があり、賛否両論が巻き起こっています。

極端なデフォルメと過剰演出

この映画は、オカルト描写と田原家の日常的な崩壊という2つの要素を極端に対比させています。特に、オカルトパートは特撮的な演出が目立ち、これが観客によっては「リアリティを欠く」と評価される一因になっています。一方で、ホラー映画としてのエンターテイメント性を求める観客には、過剰な演出が逆に楽しさを提供しました。

キャラクター描写の不均衡

主人公である田原秀樹の表と裏の描写がリアルすぎて、不快感を覚える観客もいます。特に、彼の家族を大切にしない面や、ブログ上での偽りのイクメン像が強調されているため、多くの観客に嫌悪感を与えました。また、霊媒師比嘉琴子などのキャラクターの描写が強すぎて、物語の焦点が曖昧になったとの批評もあります。

映像表現とホラー演出

映像面では血の表現やお祓いシーンが過剰に演出されており、ホラー映画に慣れていない観客にとっては過度なグロテスクさが否定的に映りました。しかし、逆にホラー映画ファンにとっては、独特の雰囲気と派手なシーンが魅力となり、賛辞を受けています。

下記に実例を挙げます。

特撮とデフォルメのバランスの欠如

映画のクライマックスであるお祓いシーンでは、様々な霊媒師が登場し、彼らが次々と霊と対峙する場面がありますが、特濃なデフォルメによって視聴者の集中力が途切れやすいとの指摘があります。

田原家のリアリティと崩壊

田原家の崩壊を描く前半部分は、リアリティに満ちており、家庭の問題が重層的に描かれますが、その後に急激に進むオカルト展開との対比が強すぎるため、作品全体の調和が崩れると感じた観客も多いです。

映画「来る」は、ホラー映画として大胆な表現を取り入れた作品で、エンタメ性が強調される一方、物語のリアリティと過剰な演出とのバランスに賛否が分かれています。特に、キャラクターの描写や映像表現が観客の好みによって大きく評価が変わるため、一部の観客には非常に楽しめる映画であるものの、他の観客には過度な演出と感じられる場合がありました。

「来る」で話題になった気まずいシーンとは?視聴者が感じた違和感を解説

映画「来る」では、気まずいシーンとして、男女がベッドで絡み合う性愛的なシーンが挙げられます。このシーンは観客の一部にとっては過剰に感じられ、特に家族や異性の友人と一緒に観た際に違和感を覚えるとの声が多くあります。

PG12の指定理由

「来る」はPG12に指定されており、12歳未満の子どもが視聴する際には親の助言や同意が必要です。この指定の理由には、暴力的なシーンだけでなく、簡潔な性愛描写も含まれているため、特定の観客層には不適切に感じられる可能性があります。

視聴者の感想

実際、TwitterなどのSNSで「来る」を視聴した人々の間では、このシーンが家族や異性の友人と一緒に見ると「気まずい」と感じるという声が多数ありました。特に、デートや家族での視聴においてこのシーンが話題となり、視聴者の間で賛否が分かれる一因となっています。

具体的には下記のとおりです。

ベッドシーンの違和感

男女がベッドで絡み合い、キスをするシーンが映画の中で描かれています。このシーンは、ホラー映画の文脈から外れているように感じられ、特に親や異性の友人と一緒に見ると気まずさが生じると指摘されています。

視聴者の反応

SNS上では、実際にこのシーンで気まずい思いをしたという声が多く見られます。「デート中に映画館で観たカップルが気まずい雰囲気になった」「母親と一緒に見ていて気まずくなった」といったコメントが頻出しており、このシーンが映画全体の評価にも影響を与えています。

映画「来る」は、ホラー映画として独自の演出がある一方で、性愛的なシーンが視聴者に違和感を与えることがありました。特に、親や異性の友人と一緒に見る場合には、このベッドシーンが気まずいと感じる人が多く、視聴の際には相手を選ぶことが推奨されます。

映画「来る」のあらすじを徹底解説!恐怖の物語の始まりとは?

映画「来る」は、主人公田原秀樹の平穏な日常が、得体の知れない怪異「ぼぎわん」の襲撃によって崩壊していく様子を描いたホラー作品です。物語は家庭の幸福の裏に潜む闇が徐々に明らかになり、怪異の正体に迫る過程で、恐怖と絶望が深まっていきます。

映画のストーリー展開

物語は、サラリーマンで家族思いの田原秀樹(妻夫木聡)が、得体の知れない怪異「ぼぎわん」に襲われるところから始まります。最初は小さな異常事態から始まり、次第に家族や友人が命を落としていく中で、彼は霊媒師に助けを求めるようになります。ホラー要素と家庭の崩壊が交差することで、観客は徐々に追い詰められる恐怖を感じることになります。

怪異「ぼぎわん」の存在

怪異「ぼぎわん」は映画の中で徐々にその恐ろしさを増し、姿が見えない存在として登場します。原作では、三重県に伝わる妖怪として描かれますが、映画では特にその存在が抽象化され、正体が明かされないまま恐怖が続きます。この「見えない恐怖」が物語全体を包み、観客に強烈な不安感を与えます。

  • 田原家の日常が崩壊していく様子:田原秀樹は、育児ブログを書きながら幸せな家庭を築いているかのように見えますが、次第に家庭内の問題や怪異の影響で精神的に追い詰められていきます。娘や妻も次第に怪異に取り込まれ、家族の崩壊が描かれるシーンは、リアルな描写が恐怖を一層際立たせています。
  • 霊媒師たちの登場と壮大なバトル:物語が進むにつれて、田原家に霊媒師たちが集まり、怪異「ぼぎわん」に対抗しようとするシーンがクライマックスを迎えます。この場面では、日本各地から集められた霊媒師たちが力を合わせて怪異に挑むという壮大な戦いが繰り広げられ、観客に強烈な印象を与えます。

映画「来る」は、家庭の崩壊と怪異との対峙を通じて、ホラー映画の新しい形を提示しています。得体の知れない怪異「ぼぎわん」によって、主人公の田原秀樹が追い詰められていく様子がリアルに描かれ、日常が崩壊する恐怖と、人間関係の歪みが重なり合って観客を引き込んでいきます。この作品は、恐怖の本質を探求するホラー映画として高い評価を得ています。

【ネタバレ注意】映画「来る」の結末を詳しく解説!意外なラストの真相

映画「来る」の結末は、霊媒師の比嘉琴子が怪異「あれ」と相打ちとなり、真琴、野崎、そして知紗が生き残るという展開で幕を閉じます。琴子の犠牲により怪異は撃退されますが、その過程で知紗が「ぼぎわん」に強く引き寄せられていることが明らかになります。

知紗の役割と「あれ」との繋がり

知紗は物語の中心で、怪異「あれ」と深く関わっている存在です。彼女は「あれ」に取り込まれる危機に直面しており、その影響から逃れるために琴子が除霊を試みます。しかし、知紗と「あれ」の繋がりは想像以上に強く、簡単に引き離すことができません。

琴子の最終的な選択

最強の霊媒師である琴子は、最後に自分を犠牲にする形で「あれ」と相打ちになり、知紗を含む他のキャラクターを守ります。この決断は、怪異の力を封じ込めるために必要だったものの、琴子自身はその戦いで命を落とす結果となりました。

具体的なシーン

琴子と「あれ」の最終決戦

クライマックスでは、琴子が集めた霊媒師軍団が「あれ」に立ち向かいますが、次々に倒されていきます。最終的に琴子は「あれ」との一騎打ちに挑み、自らの霊能力を駆使して怪異を封じ込めますが、その代償として自らも命を失う結果となります。これにより、知紗や他のキャラクターは命を繋ぎます。

知紗の運命と野崎・真琴の生存

知紗は「あれ」に取り込まれる危機に瀕しますが、琴子の力によって救われます。真琴と野崎も最後まで知紗を守るために奮闘し、無事に生き残ります。彼らの生存は、琴子の犠牲によるものとされています。

映画「来る」の結末は、最強の霊媒師である比嘉琴子の自己犠牲によって、怪異「あれ」が封じ込められる形で幕を閉じます。真琴と野崎、そして知紗は生き残り、物語は彼らが新たな生活を迎えるシーンで終わります。琴子の犠牲は大きなものでしたが、それにより知紗が救われ、物語全体に強烈な余韻を残しました。

見どころ満載!映画「来る」のホラー演出とキャストの魅力を深掘り

映画「来る」は、ホラー演出のインパクトとキャストの魅力が絶妙に組み合わさった作品です。中島哲也監督の独特なビジュアルスタイルと豪華キャストの個性が際立ち、観客を引き込むエンターテイメントとして高く評価されています。

ホラー演出の特徴

中島哲也監督のホラー演出は、独特なビジュアルエフェクトとテンポの良い編集で観客を圧倒します。映画の中盤から登場する「怪異(あれ)」の正体が見えないまま、次々とキャラクターが襲われる緊張感が絶えず続き、終盤に向かうにつれてスリリングな展開が加速します。また、血飛沫やオカルト的な儀式など、ビジュアル的に強烈なシーンが次々と繰り広げられ、視覚的に恐怖を煽る演出が際立っています。

キャストの個性とパフォーマンス

映画には、岡田准一、松たか子、小松菜奈、妻夫木聡といった豪華キャストが出演しており、それぞれのキャラクターの個性が際立っています。松たか子演じる霊媒師・比嘉琴子は、その圧倒的なカリスマ性と力強い演技で物語を支える存在となっています。また、岡田准一演じるオカルトライター・野崎や小松菜奈演じる霊能力者・比嘉真琴も、それぞれ独特の存在感を放っており、物語に深みを与えています。

具体的には下記のとおりです。

比嘉琴子のカリスマ的な登場

松たか子演じる比嘉琴子は、日本最強の霊能力者として登場し、その圧倒的な存在感で観客を魅了します。特に、霊媒師たちを率いて怪異「あれ」と対決するシーンでは、その冷静さと強さが際立ち、映画全体のクライマックスを形成しています。

ホラー演出の特徴的なシーン

怪異「あれ」の正体が見えないまま、登場人物が次々と襲われるシーンでは、観客に不安感と恐怖を与える効果が最大限に発揮されています。また、真琴が霊を追い払うシーンや、血飛沫の激しいバトルシーンなど、視覚的な恐怖を提供する演出が観客に強く印象づけられました。

映画「来る」は、中島哲也監督のビジュアル的な演出とキャストの豪華なパフォーマンスが融合し、ホラー映画としての完成度が非常に高い作品です。ホラー演出のテンポや視覚的な要素が観客を飽きさせない一方で、個性豊かなキャストの演技が物語を彩り、映画の見どころを多く生み出しています。恐怖とエンターテイメントが絶妙に混ざり合った作品として、ホラー映画ファンにとって必見の一作となっています。

まとめ

映画「来る」は、独特のホラー演出と強烈なビジュアル表現によって観客に衝撃を与えた一作です。オカルト的な要素と家族崩壊のリアルな描写が融合し、作品全体にわたるテンションの高さが特徴です。しかし、これらの要素が一部の観客にとっては過剰に感じられ、評価が分かれる結果となっています。特に、田原家の日常が崩壊していく描写や、霊媒師たちが怪異「ぼぎわん」に立ち向かうクライマックスは、多くのホラー映画ファンに支持されましたが、グロテスクなシーンや性愛的な描写に不快感を覚える観客も少なくありませんでした。

本作は、物語の展開がリアルとオカルトの間で揺れ動くため、観客に緊張感を持続させつつも、リアリティとファンタジーのバランスが難しいと感じられる場面もあります。特に、霊媒師の比嘉琴子を演じる松たか子のカリスマ的な存在感が作品全体を支えており、彼女の犠牲によって怪異を封じ込める結末は、悲劇的でありながらも物語を完結させる重要な要素となっています。

また、性愛描写に関しては、観客の間で賛否が分かれ、特に家族や異性の友人と一緒に観た際に気まずいと感じたという声が多く挙げられています。これにより、映画全体の評価が下がる原因となる一方、ホラー映画としての斬新なアプローチやビジュアル的な恐怖演出は高い評価を受けました。

総じて、映画「来る」はホラー映画ファンにとって見応えのある作品であり、その過剰な演出や極端なデフォルメが魅力となる一方で、一部の観客にとっては不快感を与える場面も多いため、視聴する際には相手やシチュエーションを選ぶことが推奨されるでしょう。

重要なポイント

  • ホラー映画としての斬新なアプローチとエンタメ性の強い演出
  • 田原家の日常のリアルな描写とオカルト要素の対比
  • グロテスクなシーンや性愛描写に不快感を覚える観客も多い
  • 霊媒師比嘉琴子のカリスマ的な存在感と彼女の自己犠牲
  • 怪異「ぼぎわん」による家族崩壊とクライマックスでの戦い
  • 家族や異性の友人と一緒に観る際には注意が必要な性愛的シーン